東京・代官山の商店街が衰退、その原因は?

 東京の渋谷駅から東横線横浜方面の各駅停車に乗車した最初の駅が代官山です。「おしゃれな街」のイメージが高い街です。高級ブランドや個性的なブランドの服やアクセサリーを売る店舗が多数あり、商品の価格はかなり高額ですが、休日になると多くの人で賑わう状況でした。

 コロナ禍になってから人通りが少なくなり、休業する店舗が増えました。現在、コロナ禍はほぼ終息したと言える状況になりましたが、休業した店舗がそのまま閉店し、空店舗になったところが数多くあります。

 検索すると、渋谷が再開発されてビジネス街に変貌した影響であるとか、急行が停車しないから等と書いた記事がヒットします。

 筆者の見解は少し違います。地元の複数の不動産会社が代官山を「おしゃれな街」として宣伝し、その結果として地価が呆れるほどに暴騰したことが原因と考えています。

 地価が暴騰すると店舗の賃料も急騰します。10年以上前から、通常の感覚では考えられないレベルの賃料でした。月賃料が1坪10万円~20万円超の物件が数多くありました。

 これまで、高級ブティックや上場企業などが事業の黒字を消化して節税するために赤字前提で代官山の店舗を借りていました。多額の税金を支払うくらいなら代官山に店舗を開店し、宣伝するのが得策であるとされました。「代官山に店舗がある」ということは、企業において一種のシンボルステータスであるとされていました。

 失われた30年に突入したとはいえ、景気が何とか順調に推移していた頃は問題なかったのですが、コロナ禍で一変しました。繁華街における人出が激減したためにどの企業も利益が激減し、資金を代官山の赤字店舗に充当する余裕がなくなりました。代官山の店舗の多くは休業し、そのまま廃業する状況になりました。

 貸店舗の貸主としては、店舗の家賃を簡単に下げられません。「おしゃれな街」であるとして地価が高騰したことから固定資産税および都市計画税が大きく上昇したからです。家賃を高額に設定しないと税金を払えなくなります。

 このような状況になると商店街の復活は絶望的です。今後、店舗は長年をかけて徐々に壊され、数十年前のように住宅街に戻るかもしれません。

 地元の不動産会社がブームを造ろうとしたところは代官山以外にもあります。同じ東横線の学芸大学駅周辺では10年以上前に「横浜中華街に次ぐグルメの街にする」という話が持ち上がったことがあります。商店街にある店舗の大半を飲食店に転換する試みが行われましたが、道半ばで頓挫したようです。

 また、山手線の目黒駅から東横線の都立大学駅まで繋がる目黒通りを「家具店およびインテリア店の街にする」という試みが行われました。「目黒ファニチャー通り」と命名し、目黒通り沿いの店舗に家具店およびインテリア店を数多く入居させました。

 このような試みは店舗の経営が持続して初めて成功したと言えますが、開業後、間もなく閉店するところが多く生じました。コロナ禍の影響もあり、現在、家具店やインテリア店はかなり少なくなっています。